せっかく鹿児島まで来たのだから、日本の為に犠牲になった先人の事を勉強する為に行ってきました「知覧特攻平和会館」

静かな森の中ですがそよ風が吹くたびに何やら気配すら感じる場所です。その中にある「三角兵舎」

ここは特攻に出撃するまでに寝泊りされた宿舎だそうです。

そして森を抜けると

会館前には思わず見入ってしまいます。日本国国旗がたなびきます。

これ以降は撮影禁止なので画像はありません。入館するとちょうど視聴覚室で語り部の方の「語り」がはじまりました。

写真などの映像から始まりますが、どなたも大変に若く、17才位から30才そこそこの青年たちでした。どなたも笑顔で写っているのが印象的です。当時は御国を守る事が家族を守る事、敵艦に一撃を与える事が若者の夢であり特攻隊に選ばれる事が名誉ですらあったそうです。

そして特攻前の手紙がいくつか紹介されますが、どれも親や家族にあてたもの。そこには相手への愛おしい言葉が書きしたためられ、聴くほどに本当に涙が止まりませんでした…。一体どんな気持ちで特攻して行ったのか…。同じ日本人なのに環境や教育でこんなに違うものなのか?

時代といえばそれまでですが、その中の手紙のひとつに継母に書いた手紙がありました。それには同居時には反抗し、一度も「お母さん」と呼ぶことが無かった事の後悔の念と謝罪が記され、実際はそうではなく素直に慣れなかった後悔、そして継母への感謝と尊敬の念が記されていました。そして最後にようやく素直になれ、何度も「お母さん、お母さん、お母さん」と何度も何度も書き綴っていた手紙でした。

思うところがたくさんありますが、日本人なら一度は知っておきたい、そして見ておくべき事がここには有るという事を勉強させられる場所でした。平凡平和に暮らせる事は大変感謝すべき事だと痛感した時でした。